世田谷区立松丘小学校 1年生(絵本を演劇に)

世田谷区立松丘小学校 1年生(2014年1月)
2時間×3日間(2クラス_他2クラスは大久保慎太郎さんが進行、世田谷パブリックシアター事業)

1日目
1時間目
クラス全員で「赤は止まる、青は歩く、紫はジャンプ、ピンクは犬の真似」などを決め、進行役の合図でその動きをする(時々ミックス)
全身でグーチョキパーの形をつくり、全身ジャンケン(個人戦)
全身ジャンケン(クラスを4グループ_10人弱_に分ける団体戦)
2時間目
身体を使ってものの形を表現する活動
一人で、二人で、三人で、六人でと、だんだん増やしていく
最後に自分たちが夏に育てたアサガオの一生をグループで表現する

2日目
1時間目
上履きの高く積み上げ競争(4グループ)
身体でものの形をつくることの復習
2時間目
「ゾウの鼻はなぜ長い?(キップリング)」の話を聞いてもらう
物語の一部分を児童たちが演劇にする

3日目
1時間目
「マジックアップル(レイナー・サセックス)」の絵本の読み聞かせ
お話の思いだし(場面を7つ程度出してもらう)
グループに分かれ、どの場面をやりたいかを決める
2時間目
グループで担当の場面を演劇にする
中間発表(物語の順番ではない。やりたいグループからやり、観ていた人に感想をもらう)
つくりなおし(練習をもう一度やる)
物語の順番に発表をしていく

 

こーたの思ったこと

世田谷パブリックシアターでは「かなりゴキゲンなワークショップ巡回団」と銘打って、2003年から世田谷区内の小中学校で年間を通じて出張ワークショップ活動を行っている。劇場と年間契約している進行役(年間契約ファシリテータ)は今年度は5人で、基本的にはその5人で小中学校に出張してワークショップを行う。時には一人、時には複数人で進行をする。延べ250回以上行っている。小学校低学年からの依頼が多く、中でも、1回(2時限)だけや、多くても3回(6時限程度)のワークショップを行うことがほとんどである(学芸会などで一緒に活動する場合は10回以上になることもある)。

ここに記した進行は、ある意味、私の小学校1・2年生向けの典型的なワークショップの進め方なので、代表してあげさせてもらった。1回の場合は1日目の内容、2回の場合は2日目までの内容になる。学校は、クラスごとに差ができることを好まないので、同時に2クラス並行でやることも多く、そのような時は世田谷パブリックシアターの年間契約ファシリテータが同時に別の場所(教室や多目的室など)で同時に同じような内容のワークショップを行う。この時は大久保慎太郎さんが別のクラスを担当した(内容はほぼ同じである)。

プログラムは、ゲームのようなことから始めるが、「自分たちで決めたルールを守る」「一人で考える」「相談しながら考える」「頭と身体をつかう」など、様々なことが盛り込まれている。

2日目の「ゾウの鼻はなぜ長い」は、絵本を読むのではなく、私がお父さんやお母さん、主役の子どものゾウ、ワニなどの役を全部やりながら進めていく。最後にワニが鼻の短い子どものゾウの鼻に噛みつき、伸ばしてしまうという話である。

児童たちは、絵もないのに、私の話を真剣に聞いてくれるし、ワニに食べられそうになるところなどは、ドキドキしながら「行っちゃダメだよ」「あぶない!」と言ったりする。物語にのめり込んでくれるので、私の俳優としての(?)楽しい時間でもある。実は、以前、3年生の早い時期(5月か6月)にこの話をしたのだが、それほど児童たちは楽しめなかった様子であった。このプログラムは2年生までにしている。

最後には、5~6人程度のグループになり、「鼻が短いが伸びる」ゾウをつくってもらう。そして私がワニになって、パクリと噛みつき、鼻が伸びる、という場面を児童たちと一緒にやるのだ。児童たちはいつでも楽しそうにこの活動をやっている。

3日目はもうゲームなどはやらないようにしている。なぜなら、劇をつくって、作り直しというか、最後の発表会の前に一度中間発表をして出来なかったところをもう一度練習する時間を取りたいからだ。

「マジックアップル」はたまたま見つけた絵本であるが、とても気に入っている。話も面白いのだが、短い時間で児童たちが演劇にするのに丁度いい場面数、ストーリー展開だと思うからだ。物語をいくつかに分けて、最終的にはクラスで一つの物語の演劇をやるというのが、私はとても良い活動だと思う。

ワークショップには、当たりや外れ、正解不正解というものはないので、どんなことをやっても良いと思うが、1つの同じことを、全部のグループがやるというより、違うことをやるのだが、それが一つに繋がっている方が、児童たちにとっては嬉しいことなのだと思う。

例えば、1日目の最後には花(今回はアサガオだったが)を5~6人のグループで、種から芽が出て、ツルが伸びて、つぼみが出来て、花が咲いて、枯れて、また種ができる、という活動をやる。1グループ5~6人だから、クラスにもよるが4~7グループ程度花を咲かせることになる。「違いを楽しむ」という意味では楽しいことだが、小学校低学年などでは真似をしたわけではないのに「真似した」と思うことも多く、また「真似した」と言ってしまいケンカになることもある。「真似した」とは言わないなりにも、「似てるな」とか「自分たちより面白い」のように、同じ活動をすることで優劣を心の中でつけてしまう。

それは花でなくても同じである。例えば、三匹の子ブタで「もし4匹目の豚がいたら、オオカミが入ってこれないような、どんな家を考える?」という投げ掛けをすることがあるとしよう。いろいろなアイディアが出てくる児童だったら良いが、なかなか出てこない子もいる。また、同じような発想をして「真似した」問題が浮上することもある。童話は物語の中で何回か同じようなことを繰り返すことが多い。3枚のお札にしても、ネズミの嫁入りにしても、マッチ売りの少女にしても。繰り返しの面白さはあるが、その発想を楽しむには時間がかかるような気がするのだ。

話が横にそれたが、とにかく私はこの「マジックアップル」を気に入っている。最初の発表は、場面を演劇に出来たグループからやってもらい、観ていた人に良かった点、分かりにくかった点、アドバイス等を言ってもらう。次々と意見は出てくるのだが「もう少しセリフを増やした方が良い」「怖い顔をした方が良い」というような厳しい意見も出てくる。基本的には出てきた意見を参考にしてもらうことにするが、単純に練習不足で出来なかったグループにも厳しい指摘が飛ぶこともあるので、そんな時は「本当は今の意見のようにやりたいと思っているんだけど、ちょっと練習時間が足りなかったんだよね」とどちらの意見も否定しないように心がけ、もう一度練習し発表するチャンスを設けるようにしている。

この中間発表は時間がかかる。一つ一つのグループを丁寧に見て、意見を求めるからだ。完璧を最初から求めないので、自信のある、またはやりたいグループからやってもらうことにしている。早くやりたい、自信のあるグループは、他のグループが見ても参考になることが多いからだ。

ただ、最後の発表は、物語の通りに進むことにしている。演劇になっていない場面や、絵本なので、繋ぎのナレーター的な役割を私がやり、演劇の部分は児童たちだけで行うようにしている。

昨年ではあるが、この活動を2年生の3学期にやったところ、1年生から続けて担任していた先生が「成長したなぁ」と感じ、泣いてしまって、児童たちに感想を言ってあげられないことがあった。おそらくだが、先生方は、こんな演劇は出来ないと思っているし、やろうと考えることもないと思う。しかし、私は何年もこの活動をやっていて、児童たちにはやれる力があることを信じている。そして、毎回素晴らしい作品になっているので、毎回驚いているのである。

松丘小学校へのリンク(活動の様子のリンク)
1日目

海城学園 中学2年生(人生の先輩に話を聞いて演劇に)

海城学園 中学2年生(5月下旬~6月下旬)
2時限×3日(8クラス)

1日目
1時間目
クラスメートのことをもう少し互いに知る為のゲーム
身体を使って、物や場所を表現する導入(演劇のはじまり)
2時間目
7人程度のグループに分かれる
A4の紙1枚程度の1人称で書かれたテキストを渡し、グループでそのテキストを身体や言葉を使いながら、他の観ている人に伝える

2日目
1時間目
7人程度のグループに分かれ、卒業生や近所の方に「仕事」についての話を聞く
録音はしないでメモを取る
2時間目
うかがった話を、お話して下さった方の言葉で、一人称で書き起こす(聞き書き)数人の生徒に、書いたところまでの聞き書きを読んでもらう

3日目
1時間目
グループに分かれ、聞き書きを持ち寄り、全員の聞き書きを参考にしながら(全ての部分を使う必要はない)演劇にしていく
2時間目
発表と、生徒及び見てくれた被取材者の方の感想

 

こーたのふりかえり

2010年からこの活動が始まったが、毎年はっとさせられる聞き書きに出会う。まだ中学2年生の彼らは、大人と話す機会は多くない。あっても、親類、先生、塾の先生程度であろう。そんな生徒たちが、仕事(編集、フォトグラファー、俳優、弁護士、商店店主など多岐にわたる)の話や、卒業生の方から戦時中の話を聞いたりする。男子であるにも関わらず、女性の方は仕事を続ける上での女性ならではの辛さなどを話して下さる。そのことが既に刺激的な事であるが、生徒たちはしっかりと受け止め、それを「聞き書き」というものに言葉で起こし、さらには内容を反すうしながら、何を受け止めたのか、何をグループ以外のクラスメートに伝えるのかを考えながら、演劇をつくっていく。

演劇というと、とかく「表現すること」に焦点が当てられがちだが、演劇をつくる過程では彼らは、仕事の内容のみならず、人となりや価値観も受け止め、また、グループ作業をしている時には、グループのメンバーの思いや考えを受け止めながら活動をしている。「受け止めること」は「表現すること」と同じように演劇にとっては重要な要素だ。そして、お話して下さった方に敬意を払い、何を受け止めたかを表現することによって返していく。

卒業生のみならず、お話をして下さる20代~80代までの人生の先輩たちは、「楽しい時間でした」「しっかりと受け止めてくれていますね」と喜んで下さる。生徒たちも「戦争のことを聞けて良かった」「劇を作るのは難しかったけど、与えられた物ではなく、自分たちで全部考え、それが演劇になって良かった。こんな事が出来るんだと思った」と、話を聞くことや演劇づくりの過程で他者を受け止めることを発見していく。

正直、とても速いスピードで劇づくりから発表まで行っているため、生徒たちには慌ただしい活動だと思う。しかし、活動の中のどれも外すことは出来ないし、かといって時間を際限なく延ばすことも出来ない。この時間との戦いと、時間が短いからこその「演劇」の活かし方、よりよい発表にするための仕掛けを考える必要があると思う。スピードアップすることを考えないで、ゆるやかに、もっと深く、自分や他者のことを考える時間を取ることを考えたい。

 

海城学園へのリンク(活動の様子のリンク)
1日目
2日目
3日目

私立女子中高一貫校 中学1年生(初めてのクラスにて)

私立女子中高一貫校 中学1年生(入学式直後、及び5月下旬)
2時限×1日(4クラス)、及び、4時限×1日(演劇デザインギルドのメンバーと共に、違う場所で4クラス同時並行)

4月
1時間目
まだよく知らないクラスメートのことを知るためのゲーム
からだを使ったゲーム
思わず笑ってしまうようなゲーム
2時間目
身体を使って物や場所や人を表現するゲーム
そこから昔話の1場面を、7人程度のグループに分かれて協力してつくる

 5月
1時間目
4月にやったゲームなどの思いだし
2時間目
自分の小さい頃(未就学~小学校低学年)の遊んだ場所の絵を描く
7人程度のグループに分かれ、誰か一人の絵(エピソード)を選んで演劇にする
3時間目
演劇の発表
2グループが合体して(つまり1グループ約14人)一つの物語にして演劇にする
4時間目
2クラス合同で発表会

 

こーたのふりかえり

4月の活動について、「小学校から上がってくる生徒と、中学から受験して入ってくる生徒の間に溝ができてしまうんです。在校生も受け入れたくないわけではなく、むしろ仲間になりたいと思っているのだけれど、どうやってきっかけを作れば良いかわからないらしい」このような先生の言葉から、入学式直後に活動をすることにした。極端な話「仲良くなれれば何をやっても良い」ということであった。それ以上のことが演劇に出来ると思っているが、短い時間で互いを知るのに役立てるのも演劇の一つの力であるので、私は生徒と一緒に楽しむことにした。

確かに緊張しているし、「3人組になって!」と声をかけると、なかなか進んでグループになれない生徒もいた。しかし、小難しいことを考えるのではなく、楽しむだけで良いんだ、と理解すると、生徒たちはだんだん解れて言った。2時間目の終わりのふりかえりでは「仲良くなれるか心配だったけど、友だちがたくさんできて良かった」と多くの生徒が言った。互いを知るとは、好きなものは何かとか、勉強ができるかとか、家族構成はとか、そういったデータを集めることもあるが、雰囲気を感じとる、雰囲気を感じあうということが知ることなのだ。生徒たちはそのお互いの「感じ」を受け止めあい、急速に打ち解けていった。

5月にも「続きの活動をやりたい、総合学習などでグループ作業をすることもあるので、その下地をつくりたい」という先生の意向から、実施が決定した。ただ、1日しか日程があけられず、かつ4クラス同時に(別の活動場所で)やって欲しいという先生の希望から、演劇デザインギルドの福原忠彦、開発彩子、中村麻美の3名にも1クラスずつ受け持ってもらうことにした。この3人は私ほど学校でのワークショップを日常的に行っているわけではないが、ワークショップや演劇活動で大切にしたいこと、大事だと思っていることを共有できる仲間だと思うし、私より若いので生徒たちとも打ち解けるだろうと思い、お願いした。

この学校でも、他の学校と同様、教室での授業の他に、社会との関わりを学習する時間がある。どちらかといえば「良き母になるため」という感じの強い学校であるが、それだけでは現在の社会にマッチしていないと、近年、少しずつだが教育目標にも変化があるようだ。先生も「中高一貫ですから、1年単位でも生徒たちを見ていきますが、6年通して成長することが目標です。社会の中の自分という立場を理解できるように、将来社会人として社会にしっかりと関わっていけるような人間をつくっていきたいんです」とおっしゃっていて、その始めの活動として、私たちにお願いしてきたというわけである。

ゆくゆくは外部の人にお話を聞く機会もあるが、今回は、自分の話を他者にする、また、グループ内ではあるが、他者の話を受け止め、それを他の人に伝える、ということを目標に置いた。先生からは「偉人の話を演劇にするのはどうでしょう?」という話もあったが、誰を選ぶかという問題があったのと、歴史上の人物だと身近な問題として捉えられない可能性があったので、多くはない人生経験の中から、幼少の頃の遊び場の絵を描いてもらった。

絵を描くだけだが、その中にはいろんなエピソードが詰まっている。また話している間に様々なことを思いだしていく。そんな思い出から演劇を作ることは楽しい。自分のことでなくても、相手を知ることになるし、また2グループが協力して、本来出会うはずのないエピソードが繋がることも面白い。話だけではなく、演劇をつくる過程で、表現することを互いに手伝うため、どんどんダイナミックな表現になっていく。そのダイナミックさも、生徒たちは楽しんでいた。

2013年度・学校での活動のふりかえり

毎年やろうやろうと思っていて出来ていないことに、私の学校での活動報告をweb上でやる、というものがあります。
今年(今年度)は一念発起して、書きはじめてみました。カレンダー通りに書いていませんが、抜粋しつつもなるべく多くの事例を紹介したいと考えています。学校名等は仮名にさせて頂いていますが、私の活動が学校のHP等に紹介してある場合は、学校名とリンクを張らせて頂きます。ご都合が悪い場合は、関係者の方はご連絡下さい。

現在まででまとめてあるもの
私立女子中高一貫校 中学1年生(初めてのクラスにて)
私立海城学園 中学2年生(人生の先輩に話を聞いて演劇に)
世田谷区立松丘小学校 1年生(絵本を演劇に)
世田谷区立小学校 1年生(アサガオの成長の演劇)
世田谷区立小学校 4年生(歌からオリジナルの物語をつくる)
不登校の子どもたちが通う学校にて

です。

学校での活動なので、期間は2013年4月〜2014年3月までです。

※この書き込みを、しばらくページトップにしておきます

地図づくりと演劇

今日は小学校で、1年生の子どもたちとオリジナルの地図を作り、その地図を演劇にするという活動をした。自分の忘備録という意味でも、ここにメモしておこうと思う。

近年多くの小学校に行っているが、2学期2日間(4時限)と3学期2日間(4時限)の合計8時限分も活動できることが少ないので、僕たち(世田谷パブリックシアター)にとっても、良い経験になったと思う。学芸会・学習発表会の活動をのぞけば、1年間のうちにそんなに僕たちの活動に時間を割くわけにはいかない。多くの学校では1日(2時限)である。最近は僕たちの活動が認知されてきたこともあり、2日間(4時限)や3日間(6時限)ということもあるが、そこまでがほとんどである。

毎年通っている学校であれば、1年間の授業時間が少なくても、充実した活動はできるが、今回のように「純粋に自分たちの考えた世界(物語)で遊ぶ」という活動ができないというのが正直なところである。絵本を演劇にすることはある。教科書の詩や俳句を身体で表現することもある。群読もある。生活科の授業で、例えば「アサガオが、種から芽が出て、ツルが伸びて、つぼみになって、花が咲いて、枯れて、また種ができる」ということを、からだで表現することはとても意味のあることだ。学習すること、表現すること、グループワーク、様々なことがこの活動には含まれてくる。

が、自分たちが0から考えた空想の世界・物語の世界で遊ぶ、という行為を楽しむことがなかなかできない。もちろん学校でやらなくても良いという話もあるかと思うが、今回は先生が「子どもたちは、現実と空想の世界を自由に行き来できるんです。そのことをやりたいかな。他のことは他の授業でもできるんですが、子どもたちと空想の世界で遊びたいんです」という要望があったので、このような活動をするに至った。

今日は2クラス(2時限ずつ)活動したが、対照的だったためにメモを残そうと思ったのだ。

どちらのクラスも、前回オリジナルの地図を作った。
4〜5人のグループを組んでもらい、グループに1枚模造紙を渡した。模造紙のに一人寝ころんでもらい、他の人が寝ころんだ人の縁取りをする。そしてでき上がった縁取ったものを「島」に見立て、そこに折り紙やモール、セロハン、クレヨン、などなど、様々なものを使って、オリジナルの地図を作ったのだ。

地図の作業は楽しい。それだけで完結しても良いのだが、それを身体でやってもらった。つまり演劇にしてもらったのだ。
スタート、A地点、B地点、ゴール、と4つの場所を決めてもらう。スタートからそこA、Bを通り一人が旅(散歩、買い物、通勤、通学、etc…)する。途中に出てくる物(建物、生きもの、お化け、穴、etc…)を他のメンバーがやるという枠組みだ。

1つ目のクラスは、かなり劇仕立てになっていた。というか、しっかりと見ているクラスメートを意識して発表をしていた。
2つ目のクラスは、見ているクラスメートはそっちのけで、自分たちの作った世界にのめり込んでいた。

正直なことを言うと、1つめのクラスの方が、見ている分には楽しかった。おそらく、担任の先生、保護者の方々、クラスメートも楽しんでいたと思う。
が、2つ目のクラス、つまり自分たちの世界にのめり込んで、観ている人をそっちのけにしている姿を見ていて、「ああ、これもありだな。これも必要だな」なんて思ってしまった。

僕たちは演劇をやっているから、どうしても欲張ってしまうというか、演劇として「発表する人、観ている人」を意識してつくっていこうとしてしまう。それはとても大切な要素だと思うし、それを意識するからこそ演劇として成り立つわけだし、演劇している人・観ている人両者が楽しめるのだとは思う。しかし今回「現実と空想の世界を自由に行き来する子どもたち」を、演劇をつくるという活動を通して目撃することが出来、先生の目標でもあったわけで、そういう意味で「ありだな」と思ったわけである。いや「どちらも大切なんだな」と思ったのである。特に小学校1年生の彼らにとっては。

先生は、いわゆる学習することに対して演劇的手法を使うことの効果も認識されていると思う。しかし、クラスづくりというか、子どもたちの成長の過程で今回のような活動が必要なんだと思ったのだと思う。それは、もしかしたら僕たちは子どもの頃には学校以外の場所で経験していたことかもしれない。しかし「子どもたちに必要なこと」を先生が感じ取り、私たちと活動することを選択してくれたわけである。

このような遊びは学校ではなかなか出来ない。時間もないし、何かの成果が見えるわけでもない。
先日、埼玉大学の岩川直樹さんと話す機会があったのだが、その中で岩川さんは「『教育』がいつの間にか、何かが出来る様になること、何か力を身に付けさせることの意味になってしまった。A君がA’君になりました、またはA君がB君になれました、という視点でしか語られなくなってしまった。本来『教育』は目の前の応対の連続であるべきだ。子どもに何が必要か聞いてもいないのに(少しはいましたが)『コミュニケーション力をつけてあげましょう』と押し付けているのではないか」という話を聞いた(このような言葉で言ったのではないですが、意味としてはそんなニュアンス)。

岩川さんの話を聞いた後だからこそ、このような遊び(活動)をして「ありだな」「必要なんだな」と思えたのかもしれない。というより、漠然と思っていたこと、感じていたことをしっかりと言葉にしてもらったと言った方が良いのかもしれない。(岩川さんにはいつもモヤモヤしたものをハッキリとさせられている気がします。本当に素晴らしい方です)

とにかくこれからも「演劇をやったらこんなことが出来るようになります」とか「演劇をやればこんな力がつきます」みたいなことを言わずに、でもその演劇の力を信じながら、子どもと一緒に活動を続けたいと思う。

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